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画廊椿「マキ・ペンティッラ展」 [展覧会]

西千葉駅そばの、画廊椿で「マキ・ペンティッラ展」が28日まで行われていた。フィンランドの女性作家でヨーロッパでは知られた作家だそうだが私は知らなかった。木を素材にして作家の原風景が凝縮している様に思える。小さな画廊のユニークな小品展は光っていると思う。この可愛い素敵な画廊は次回の「大森 澪 銅版画展」の案内を見ても個性と主張がはっきりしていて、がんばってほしい画廊のひとつだ。
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論文の為の展覧会「画像進化論」 [展覧会]

論文発表の為の企画展として観た栃木県立美術館の「画像進化論」。ローカルな美術館だからこそ出来る企画展と言っては申し訳ないが、少なくとも図録にある作品のキャプションは展示作品の横にあってほい。「画像進化論」その説はかなり難解な気もするが、企画展示の構成や手法、つまりテーマを丁寧に解りやすく説明してほしかった。そうする事によって「論文の為の展覧会」(勝手に思い込んでいるのだが)ではない解りやすく新しい企画展になったと思う。私としては「ホログラフィー」に関しても一章、あるいは一コーナーを割いて欲しかった。勿論、論文(図録)は買ってきて勉強させてもらってます。
画像進化論.jpg
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神はディティールに宿る「平田郷陽の人形」 [展覧会]

「ディティールに神が宿る」のか「神がディティールに宿る」のか?何回も観たい人形たちだ。生人形師として名高い平田郷陽だが、戦後の抽象化された造形の作品でも決して妥協しない顔のディティールやメイクを観ると「人形は顔がいのち」と改めて納得する。その時代時代のフォルム感を取り入れた造形とその時代のメイクを見事に表現している。岸田劉生の「麗子像」・東郷青児のフォルム/表情・オードリーヘップバーンのメイク・毛利彰のイラストなどなど、思い浮かべればきりがないし楽しい。「顔がいのち」の人形作りの伝統が近代モダニズムを乗り越えて見事に結実している。
平田郷陽の人形展.jpg
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アンフォルメルとは何か? [展覧会]

21世紀からの感覚で言えばフォートリエもマチューもデユビュッフェも「戦後ヨーロッパ発のおしゃれな抽象絵画」だな〜と言う印象だったが、そんな事を言うと当時現場にいた人たちや評論家から怒られそうで何か感覚的に違う。と思っているうちに大先輩の秋山裕徳太子「恥の美学」を読み始めたら。白木屋のショーウインドウで行われたマチューの公開制作をみて前衛芸術にどっぷりはまり込んだ?と書いてある。当時のインパクトや現場には入れないから、やっぱり「おしゃれな抽象絵画」と言ってしまおう。読売新聞の批評記事には「観客に思考を促す美術展」と書いてあった。
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手塚治虫のブッダ [展覧会]

お釈迦様は生まれた時に右手を天に、左手を地に指差し「天上天下唯我独尊」と言い、17歳で結婚し、3人(?)の子供を授かり、29歳で出家し、35歳で悟り、80歳で涅槃に入ったそうだ。映画は出家するまでのゴーダマ・シッダールタ(ブッダ)のお話だが、この映画を観た子供達はどのくらい理解出来るたのだろう。と言うよりはお話として何か感じてもらえば良いのだろうか。「仏像と漫画でたどるブッダの生涯/手塚治虫のブッダ展」も観たが教えよりも生涯が気になる、やっぱり漫画「ブッダ」を読む事にした。
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芸術は爆発するか「岡本太郎展」 [展覧会]

3.08から「岡本太郎展」が始まり、3.11に震災が起こり、4.29に東北新幹線が全面復旧し、5.08に「岡本太郎展」が終わる。「爆発だなんて言えば今は芸術になるらしいが、こつこつやる人間にはかないませんよ」と佐藤忠良は言ったそうだが、今この時、やっぱり「爆発」で元気させられた。理屈ではなく脳幹に直接ぶつかって来る「爆発する芸術」に圧倒されて。そんな事を思っていたら40年前に大阪万博会場で撮った写真が出てきた。
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バーネット・ニューマン展 [展覧会]

茶道のような展示構成と言ったら良いだろうか、川村記念美術館での「バーネット・ニューマン展」。路地のように印象派から現代美術までの常設展を抜けて企画展に入ると正面には扁額のように作品が掲げられている。次の間は「絵画は死んでしまった」(バーネット・ニューマン)と言う真っ黒な部屋。そして間口を狭めた入り口を入り手前には作者のつぶやき(解説?)左の壁は中心にタイトル/そして正面に掲げられた作品は「アンナの光」/右の壁はモノクロの「無題-エクスチェンジ」/その左はまるでにじり口の様に小さくしつらえられた出口。現代アートの抽象的な思考と、理解してもらおうとした展示構成はまるで茶道のようだ。
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大仏さまの掌の中で [展覧会]

東京国立博物館で開催されている「特別展 東大寺大仏」の見ものは、「バーチャル大仏」と思わず買ってしまった海洋堂制作の「誕生釈迦仏立像」と快慶作の「阿弥陀如来立像」と「地蔵菩薩立像」だと思う。このバラエティーと立体感?は新しくて楽しい企画だ。その中でも国宝である快慶の「阿弥陀如来立像」と「地蔵菩薩立像」は仏像としてではなく時代を超えた作品としての緊張感に圧倒された。この二点を観るだけでもこの展覧会に来る意味は果たせていると思う。最後に大仏さまの掌に出会い会場を出た。
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「イノセンス」と「”これも自分と認めざるを得ない”展」 [展覧会]

今年の展覧会でこの二つは随分と考えさせられる事になった。「イノセンス」はニューヨークにいる草間弥生や奈良美智らと、ハンディキャップを持った人たちが、全く同じ地平線に展示され同じ目線で並んでいる。無垢(イノセンス)から与えられる衝撃は「アートだとが絵画だとか」とは何か(WHAT)と必然的に思わせられる。一方、佐藤雅彦は「これも自分と認めざるを得ない」と私達に体験させ・考えさせながら「アートだとか現代美術だとか」の手法のからくり(WHY)を考えさせてくれている、と思う。絵画/アート/芸術/美術などのWHATとWHYをセットで考える機会になった夏から秋だった。
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三菱一号館美術館のデユシャン [展覧会]

三菱一号館美術館の開館記念展は「マネとモダン・パリ」で三菱一号館が出来たころのパリの雰囲気がコンセプトだろう。マネの「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」はやっぱり素敵だ。美術館の廊下は狭いが、三階の大きな展示室からビル外のガラス廊下に出る時、外壁をガラス越しに見ることが出来る。その時目の前にある白い窓は、マルセル・デユシャンの「フレッシュ・ウィドウ」 (Fresh Widow) を思い起こさせる。「デユシャンの窓」 は1920年の作品だが同時代の作品と言えなくもない。左の写真は三菱一号館内側から撮った窓。
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国立新美術館でルノアールを観た [展覧会]

日本人はルノワールが好きで、作品が日本に沢山あることを改めて知った。六本木から近い国立新美術館での「ルノアール展」で素晴らしかったのは「団扇を持つ若い女」だと思う。何も言うことはない。この美術館の大きなアトリウムはパリの「ポンピドウセンター」を思い出させせる。空間に突き出でた2階のカフェ「サロン・ド・テ ロンド」で、この美術館は大きな透明なマユの中に在る事に気がついた。
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小村雪岱とその時代 [展覧会]

埼玉県立近代美術館は椅子のコレクションで有名だが、今回の「小村雪岱とその時代」展は力の入った内容で良かった。正直、小村雪岱は詳しく知らなかったが資生堂のデザイナーで挿絵画家と言う点に興味をひかれ出かけた。乱暴に言えば、すごくモダンでシンプルな構図の中に繊細な日本画のモチーフを明快なコントラストで配置するテクニックが大衆から玄人までに広く支持されたのだろう。「個性のない表情のなかにかすかな情感を表したい」と言う雪岱の思いが、洗練された表現の基本にあることを納得した。
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「街にキネマがあったころ」 [展覧会]

展覧会の題名にひかれて、さいたま市立博物館まで行ってきた。地元の人には懐かしい展示になっているに違いない。さいたま生まれの女優、五月信子は知らないが三宅邦子は知っていた。会場を出て、氷川神社の参道から大宮駅の西口まで新しい街と混在している古い路地を歩いた。気になった中華そばやがあったので気分もレトロに成ったところでお昼にした。味も値段もレトロで、ラーメン350円。
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式年遷宮と御装束神宝 [展覧会]

23歳の時に第60回の式年遷宮があった。次回62回は63歳になっている。1000年以上常に最新であるコンセプトは日本の最高のアートであるとも思っていた。国立博物館での「伊勢神宮と神々の美術」展を観てそのことが実感として納得できた。神殿だけではなく1000年以上作り替えられながらも変わらぬ神宝類も造形の本質的な部分を残しながら・フォルム・線などが微妙に変わってゆきながらその時代の美意識を反映しているように思える。そのことが「生まれ変わる」ことの証明でもある。4年後は「お伊勢参り」をする予定だ。
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鉄道博物館 [展覧会]

念願の鉄道博物館へ家内と行ってきた。ウイークデイだと言うのにかなり賑わっている。幼稚園の遠足、リタイアした夫婦、鉄道マニアといろいろだが週末の混雑が想像できる。秋葉原にあった当時とは全くイメージが違う。鉄道博物館が大正時代に東京駅の中に出来て、二・二六事件の昭和11年に秋葉原に移転したことも初めて知った。スケールのある現物展示はスミソニアン博物館にも負けていないような気がする。手前はキハ41307、蒸気機関車はC57 135。ミュージアムショップに欲しい物がないのは鉄道マニアではないせいか?
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シーグラム壁画 [展覧会]

久しぶりに川村記念美術館に行ってきた。マーク・ロスコの作品を観てくるのが目的だったが、特にシーグラム壁画は良かった。ばらばらに展示されては表現できないことにこだわった理由が理解できたような気がする。最近坐禅をやっていて、何も考えないで作品を観ることと、理解しようとして観ることが交互に出来るようになったことが体験できたのも収穫になった。これ、少しきざな記事になってしまった。
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東京タワーと「ル・コルビジェ」 [展覧会]

六本木ヒルズの森美術館で「ル・コルビジェ展」を観た。美術館の53階からエスカレーターを下るとそこが展望フロアーだ。真夏の良く晴れた昼下がり、目の前に東京タワーがあった。思わず「コルビジェならこんな電波塔は作らないだろうな〜」と思いつつ一枚。そう言えば、50年近く前、出来たばかりの東京タワーに連れていかれて、何時間も待って昇ったことを思い出した。
 


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ダ・ヴィンチ・コード展 [展覧会]

六本木ヒルズで行われている「ダ・ヴィンチ・コード展」を見て来た。一つ一つの手法は新しくないが総合された映像展示の新鮮さと空間演出は素晴らしかった。額縁に入った原寸の映像はそれだけでは陳腐だが、映像が近づいて来てディティールを見せる/解説する様はTVでは味わえない映像と空間の関係の新しさを感じさせたし、最終コーナーの「最後の晩餐」は何かドキドキさせられるモノがあった。そして、ブラビアを買いたくなってしまったのは私だけだろうか?
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ダ・ヴィンチ・コード (上)


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