藤田嗣治の戦争画と永春文庫「春画展」 [展覧会]
今年、国立近代美術館「特集;藤田嗣治、全所蔵作品展示」で多くの戦争画と永春文庫「春画展」で大量の春画を観ることができた。藤田の戦争画は戦後70年近く経って封印から解かれ、そして一方の春画は昨年の大英博物館「春画展」の結果「世界が、先に驚いた」と宣伝せざるを得ない外圧での解禁開催?か。いろいろな戦争画に関する出版も増えたし、修正無しの春画大型本が書店の美術コーナーでママ置かれるようになった。戦争画と春画を、誰もがニュートラルに観られるようになったのは喜ばしい、いずれも老夫婦から若いアベックまで多勢押し寄せていた。特に永春文庫「春画展」には16万人だそうだ、すごい!。でも、こんなに時間が必要だった!やっぱり外圧だった?」と、よくよく考えてみよう。
アイデア満載「赤瀬川原平の芸術原論展」 [展覧会]
この展覧会を通して60年代に始まる「ネオダダ」や「ハイレッドセンター」の状況がリアリティを持って感じることが出来る。昨年の「ハイレッドセンター:直接行動の奇跡」展のカタログが240P、今回のカタログが450P、二倍近い資料に圧倒される。もちろん「ハイレッドセンター」時代は一部だが、良くこれだけの資料が集められたと感心する。一回りで二時間半もかかった展覧会は滅多にない、本当に疲れた。この人の「千円札裁判」も含めて、深刻さを感じさせない表現の発展やアイデアは、若い頃のデザイナー経験のせいだろうか。クールでどこか突き放しているようにも思える。意外と身近なそして面白い芸術家だった「赤瀬川原平」さんに合掌。
フィオナ・タン-まなざしの詩学 [展覧会]
東京都写真美術館での「フィオナ・タン まなざしの詩学」を観てサイネージと言うのは映像ではなく「動くポスター」としてのクリエイティブだと改めて確認した。2008年のインスタレーション作品「ブロヴィナンス」はモノクロで縦位置、照明が素晴らしい動くスティール写真だ。サイネージならではの「動かない写真と動く映像の融合」の先駆けとしてクリエイティブ手法を明確に示している。一方で、映像作品「影の王国」の中での「真の写真は共同体にしか撮れない」「良い写真の判断基準は自分にとって有効か否かである」の二つの言葉は「素人写真」の私には心強いメッセージだ。ところで、写真美術館が改装のため長期の休館に入るのは残念だ。
↓作品「ブロヴィナンス」
↓作品「ブロヴィナンス」
ガラスの家は障子の家かも「建築家ピエール・シャローとガラスの家」 [展覧会]
この展覧会を観て直感的に感じたのはいずれも写真だが「ガラスの家」のガラスブロック壁での採光は桂離宮「新御殿折曲り入側縁」の障子戸そのままではないか?さらに上階で窓を開けて外の木々の緑が見える風景は、障子を開けて縁側越しに眺めた日本の風景だ。桂離宮と言えばブルーノ・タウトだが日本で彼が桂離宮を絶賛したのは1933年、「ガラスの家」が創られたのが1927年から1931年なので直接的な関係は無いのだろう。19世紀には浮世絵などのビジュアルや工芸が「ジャポニズム」として流行し、19世紀末から20世紀にかけては日本の建築空間や精神的なものが先進的な人たちに影響を与え、当時のモダン建築に取り入れられているのか。ピエール・シャローとガラスの家を知らなかった素人にはまだまだ知らないことがいっぱいある。
ヘコタレナイ漫画家、下川凹天(しもかわへこてん) [展覧会]
一人の漫画家の人生を二つの展覧会で追うことが出来た。昭和初期から戦争を経て戦後迄の漫画界の集合離散を凹天を軸にして良く解った。野田市立郷土博物館「野田で生まれた漫画たち」展と、川崎市立市民ギャラリー「下川凹天と日本近代漫画の系譜」展だ。凹天は沖縄宮古島で生まれ戦後は野田に移りキッコーマンの茂木房五郎の食客となり没する。私の新しい発見は、凹天が「実習指導 漫画の描き方」(弘文社1943年)で漫画を分類し、その中の「トーキー漫画」だ。戦後の劇画の源流が既に戦中の漫画にあったのだろうか?!劇画は手塚治虫からの出発が定説だが?。凹天は「トーキー漫画」は批評と滑稽が無いから漫画ではないとも書いている。劇画の源流かも知れない「トーキー漫画」ぜひ読んで、観たいと思う。
「アンディ・ウオーホル展」 [展覧会]
彼の時代が、垂直的に編集されこれだけの作品を観られる機会は日本では無かったと思う。コマーシャルアートを勉強し、ニューヨークでデザイナーで成功、そこで終わらず「これからはアートビジネスの時代」と言いアトリエを「ファクトリー」としてアート作品を生産、さらに「オフィス」と呼んで「アートビジネスのマーケティング」に進んだのはいかにもアメリカ的だ。アメリカでは「学校の教科書に必ず出てくるアーティスト」だそうだが「アートビジネス」での成功者でもあった。今回、私の一番の感心は日常の身の回り品を段ボール詰めにした「タイムカプセル」で、この行為はポップ・アートの実践そのものだと思うし、彼が死んだ後こそ意味が生まれさらに増大している。ところで今回の展覧会は、シンガポール・香港・上海・北京・そして東京が最後の巡回だそうで、アメリカの東アジア戦略と文化戦略の一つだろうか?そう思うとクールジャパンは?日本の東アジア戦略とアートはどう成っているのか心配になった。
福島に連なる「田中正造をめぐる美術」展 [展覧会]
「佐野市立吉澤記念美術館」は小さな美術館だったが、田中正造と足尾鉱毒事件の今に連なる事を観せて貰った。百年以上前の「渡良瀬川の大洪水による鉱毒被害拡大、汚染土壌の除去、谷中村の強制破壊と立退、遊水池化」。今回の「震災事故による放射能拡散、見通しの立たない除染と帰還、土地の政府買い上げ案」など同じことの繰り返しに言葉が無い。丸木位里・俊が「原爆の図」や「足尾鉱毒の図」を描いたのは「絵を理屈ではなく、感じるでも無く、その空間に入って対象と一体に成る」事を求めてだろう。大きな屏風やかけ軸に仕立て限られた空間に展示されたその前に立ち(座り)否応無く絵の空間に入ってゆく、日本の障壁画の伝統的在り方を手法に社会的テーマを訴求した。理屈ではない絵の在り方がここにはあると思う。
小さなワタリウム美術館。寺山修司展『ノック』 [展覧会]
造反有理!?「日本写真の1968」東京都写真美術館 [展覧会]
「カリフォルニア・デザイン-モダンリヴィングの起原」展 [展覧会]
レイモンド・ローウィがデザインしたスチュードベーカー「アヴァンティ」は数週間でデザインされたそうだ。「カルフォルニア・デザイン」の時代、日本の50年代から60年代は映画「三丁目の夕陽」の時代だ。カラフルで明るくモダンな生活は当時の日本では「ベース」と言われた「米軍基地」にしかなかったかも知れない。「モダンリヴィングの起原」と総括されているが私たち日本人にはいまだに大方の生活デザインやインテリアデザインだろう。その「カルフォルニア・デザイン」の終わりはアメリカではベトナム戦争が泥沼に入りカウンターカルチャーが起こる1965年だそうだ。ところで多くの見学していた若い人たちは1965年からその後の世界をイメージ出来ないだろうと思った。それは私の青春時代だから。
鯛画二題「由一の鯛図・龍三郎の鯛」 [展覧会]
懐かしむだけかな、埼玉県立近代美術館「日本の70年代1968-1982」展 [展覧会]
「ビートタケシ・きたの」のアートマネジメント?「絵描き小僧展」 [展覧会]
「生きるための家」展 [展覧会]
同じ「都美館」でも「フェルメール」(マウリッツハイス美術館展)を見るための行列を横目に「生きるための家」展に来てしまった。私の関心は「生きる(意味の)ためのデザイン」は「生きのびるためのデザイン」とどう違うのか。カタチや空間はどうにでも作れる様に成ったと思える現在、3.11後の生きる意味、家族・人との関係がどう提案されているのか。「なるほど」と思える作品はあったが「凄い」と言えるものは無かったかな〜。面白かったのは「一本の大きな木の中に彫りながら棲む」で、先日放送されていた「98歳になるホームレス」が造りそうな住まいに思えた。
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。
「具体」と吉原治良のマネジメント [展覧会]
具体的な成りゆきはあまり知らなかった「具体」だが、始まりから終わりまでを吉原治良がマネジメントとプロモーションをしていたからこそ「具体」が世界的に実績を残せたと言える。吉原製油の経営者としてのマネジメント力があってこそ芸術プロデューサーとしても成功したのだろう。活動も終わりに近い1970年大阪万博での「具体美術祭り」は音の残っていない映像で見る限り、今から見れば正直学園祭レベルと言ったら失礼か。それでも「具体美術協会」のパフォーマンス活動が60年近くも前に始まり、それを育て歴史に残した吉原治良は凄い。ところで「昔は芦屋のお屋敷街の新取の気風と財力が、ファッションや文化の新しい風を関西から起こした」と思っていたが、「具体」もその一つかもと思うがどうだろう?
上質なあかりの演出が光った「アールデコ/光のエレガンス展」 [展覧会]
ADC展/グラフィックデザインの潮流は白か? [展覧会]
やっぱり全部読んでみよう「地上最大の手塚治虫展」 [展覧会]
鮭よりも鯛が好きだ「近代洋画の開拓者 高橋由一展」 [展覧会]
「私も重要文化財の「鮭」は知っているがその他はほとんど観た事がなかったか?いや「花魁」「山形市街図」を観た事があるくらいだ。これだけの数の人物画/風景画/静物画を観る事が出来て、一番に思うのは写実「リアルに描く」ことの在り方だ。写実が「写真的にリアル」と言うのは写真が普及してからの概念だとすると、遠近法を採り入れながらも対象のディティールにこだわり、浮世絵の強調構図を生かし描くのが高橋由一の、そして当時の写実の概念なのだろうか。風景画では浮世絵風な近接拡大構図法による遠近の強調で描かれた「芝浦夕景」は、現在で言えば広角レンズによるドキュメンタリーだ。人物画はディティールが強調され対象の実態を抽出する、劇画家が描く肖像画の様だ。そんなこんなで静物画では、私としては「鮭」よりも妙な存在感・リアリティーが在る「鯛」(鯛図)が好きだ。
「劇画派?」/「蕭白ショック!曾我蕭白と京の画家たち」展 [展覧会]
オールオーバーな絵の中から東洋に入った?「ポロック展」 [展覧会]
「ポロックはぶれていない 」が私の感想だ。最初期の「自画像」から「インディアンレッドの地の壁画」そして晩年のモノクロのシリーズまで、ポロックは生まれ育った西部ネイティブアメリカンの表現を発展させようとしていたのではないだろうか。ネイティブアメリカンの砂絵「絵の中にいる」オールオーバーな絵。「私は床で絵を描くけれど、それは別にそんなに変わったことじゃない。東洋では普通にやられていますよ」こんな言葉から、中心の無い東洋画/日本画にも影響されていたのではと思う。 例えば「ブラックポーリング」は棟方志功だし 55番の「Untitled」はまるで「風神雷神」だ 「Black and White Polyptych」(下)は屏風仕立ての墨絵でもある、と思い当たったりしている。こんな思いは仮説の入り口だが、もう少し私流の空想を楽しんでみたい。
流出とはこう言う事か!「ボストン美術館・日本美術の至宝」展 [展覧会]
どうしてこれ程のコレクションが日本から流出してしまたのか、エジプトの美術品がナポレオンによって持ち去られたり、大英博物館に行ってしまったり、そんな悔しさと同じだ。何故って、表装のママで「額」に収まってしまった作品を見て「あ〜あ日本に在ったら無事だったのに」と思わざるを得ない。それにしても「持ち去った?」フェノロサやビゲローの眼は確かだ。中でも「曾我蕭白」の「雲龍図」は凄い、大パノラマでこんな襖絵は見たことがない、蕭白は江戸時代の劇画家だ。「「平治物語絵巻」も素晴らしい、絵巻物とはカメラが右から左へパンする映画的物語だと、今回改めて確認出来た。快慶の「弥勒菩薩立像」もイイ、小袖や帷子もすごい!尾形光琳の「松島図屏風」も大好きだ。全く「抹香臭くない」モダンな展覧会になっている。
↑天地1.6m×幅10m強もある!
↑天地1.6m×幅10m強もある!
1930年代、「都市から郊外へ-1930年代の東京」と「昭和陸軍の軌跡」 [展覧会]
世田谷文学館の「都市から郊外へ-1930年代の東京」展では、文学・絵画/彫刻・写真・版画・映画・音楽・住宅・広告などを”てんこもり"に見せられて、1930年代は自由でクリエイティブでいい時代だったんだな〜と思わせられた。一方で、同じ時代を扱った「昭和陸軍の軌跡/永田鉄山の構想とその分岐」(川田稔)を読み終わって、永田鉄山/石原莞爾ら昭和陸軍にも冷静な戦略構想があったようだが、政治の側に戦略判断能力とコントロールの力が無く、戦争に向かってどうしようもなく山が動いてゆくドキュメンタリーを観ているような気分になった。消費税を巡る今の民主党を見ていると、戦前の陸軍統制派と皇道派の抗争と同じように思えて成らない。