滝口修造とマルセルデュシャン展 [展覧会]
「大芸術家の遊びは芸術」と言ってはおこられてしまうだろうが、コンセプチュアルなオブジェでの楽しい展覧会だった。「作品のディテールをこね回し難しい意味をつなげる」仕事をする人も必要だが、「明快で直感的なアイデア」のオブジェでの表現は、遊びとしても受け入れられる。滝口修造と言う人が、評論と言うバーチャルからモノと言うリアルへと移っていったのは何故か?。ひょっとしてデュシャンの行為がオブジェによる20世紀の美術評論だとするなら、滝口修造が言葉での評論からモノ(オブジェ)による評論?表現?へと移って行ったのも理解できる「ような気がする」。これも言葉の遊びかも?
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