ガラスの家は障子の家かも「建築家ピエール・シャローとガラスの家」 [展覧会]
この展覧会を観て直感的に感じたのはいずれも写真だが「ガラスの家」のガラスブロック壁での採光は桂離宮「新御殿折曲り入側縁」の障子戸そのままではないか?さらに上階で窓を開けて外の木々の緑が見える風景は、障子を開けて縁側越しに眺めた日本の風景だ。桂離宮と言えばブルーノ・タウトだが日本で彼が桂離宮を絶賛したのは1933年、「ガラスの家」が創られたのが1927年から1931年なので直接的な関係は無いのだろう。19世紀には浮世絵などのビジュアルや工芸が「ジャポニズム」として流行し、19世紀末から20世紀にかけては日本の建築空間や精神的なものが先進的な人たちに影響を与え、当時のモダン建築に取り入れられているのか。ピエール・シャローとガラスの家を知らなかった素人にはまだまだ知らないことがいっぱいある。
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