「保守とは何だろうか」 [気紛れな本箱]
立て続けに二回読んで自分のモヤモヤがスッキリした。イギリス19世紀の保守主義者サミュエル・テイラー・コールリッジの「経済社会の危機は営利主義の過剰が引き起こしている」と言うシンプルな主題と、保守とは「伝統的な文化/精神を基に斬進的に社会経済を進歩させ、社会・文化の崩壊を防ぐ」と解説され納得した。この本のおかげで、ここ数年毎正月に伊勢神宮を参拝し、ここは千年前と変わらず何かが違うと言う感覚は「伝統、保守的な感覚がわき上がってくる」事だと理解できた。唐様の統治システムと技術が日本にもたらされ中央集権が完成した時、この国の伝統/文化を守る為に伊勢神宮の式年遷宮を国を挙げて行うことが始まった。やっぱり私は文化的保守主義者だったんだな〜と思う。
二代目皇帝凄い「鄧小平秘録」 [気紛れな本箱]
巨木、中国は? [気紛れな本箱]
ここ数年毎年中国を観て来たし、仕事で『中国人の表現気質』の勉強を進めていることもあり、もっと中国を知りたいと思っていたので最近読んだ三冊はバランスの取れた中国理解になった。社会学からの鼎談集『おどろきの中国』は歴史上初の統一国家「秦」から現在までを歴史的に俯瞰する、中国理解の中心となる幹だった。『中国台頭の終焉』はマクロ経済から観て近未来を予測する現在の枝ぶりだろう。『「反日」中国の真実』はジャーナリストが観た表層的な現象から理解を深める葉っぱの集まりだと言える。この三冊で「幹」歴史と「枝」経済と「葉」現象となり、私にとっては「巨木」となった中国の理解が少しは進んだと思う。さて中国は「落葉樹」から「常緑樹」に向かうのか。改めて「三国志」に挑戦する意欲が出て来た。
「指揮官先頭」。チャーチルの「第二次世界大戦」 [気紛れな本箱]
「第二次世界大戦」は「第一次世界大戦」が終わった時点から始まるとの認識から、30年近くの記録を一人称で、しかも連合国のリーダーとしての記録を残したのはチャーチルの「歴史に対する責任」への思いだろうか。4巻もあったが、内容はヨーロッパでの戦争の記述が殆どで「第二次世界大戦」と言いながら、ヨーロッパから見れば「第二次世界大戦」の一部が「太平洋戦争」で日本が唱えた「大東亜戦争」はさらにその一部と言う事になるのだろう。日本は地球の裏側「ファーイースト」だと思い知らされる。ところで、最前線に突然現れ自分で現場を見て大局的に決断するところが随所にあり、世界を動かした指揮官先頭とはこう言う事だと納得させられた。原発事故で現場を混乱させた某総理の視察との、歴史に対する自覚の違いを思い知る。ここで比較しては申し訳ないか!?
フィールド・ノーツ「方丈記」 [気紛れな本箱]
読売新聞の書評と「方丈記は日本で初めての災害文学」と言う著者の言が気になり「方丈記/鴨長明」(浅見和彦-校訂・訳)を読んだ。書かれている平安末期の政変、津波、大火、竜巻など鴨長明のフィールド・ノーツとも言える「方丈記」を今の日本と対比して"現代"ではなく"現在"の視点での訳と評は解りやすいし大きな意味があるように思う。『「ほど狭しといえども、夜臥す床あり。昼居る座あり。一身を宿すに不足なし」と言う方丈の住まいは、今で言えばワンルーム・マンシン』と言う比喩など解りやすく面白い。「不安の時代の生き方と住まい」を自分と鴨長明とを生身の人間として対比し考えさせてくれる。今年は、鴨長明が亡くなったと言われる歳と同じ歳になる我が身は、とても長明の心境と生き方には成っていないが。
疑心が疑心を呼ぶそうだ「陰謀史観」 [気紛れな本箱]
歴史にIFは無いとは言え「秘録 石原莞爾」 [気紛れな本箱]
「NARUTO」もあった!吉田敦彦著「ギリシャ神話と日本神話」 [気紛れな本箱]
「ローマ人の物語」(塩野七生)を読んで、古代ローマと古代日本とが似たような神話の世界だと思っていたところ、新橋の古本市で見つけたのがこの本だ。吉田敦彦「ギリシャ神話と日本神話」-比較神話学の試み-みすず書房1974、お買い得で¥200-だった。カタカナばかりで半分眠りながら一日数ページしか進まずやっと読了。ギリシャ・ローマなどの印欧神話と日本神話の類似性を比較して指摘され、なるほど知らなかった。私にとっては、オセット人の「ナルト叙事詩」の話が俄然面白かった。何故、今ヨーロッパで岸本斉史の漫画「NARUTO」がベストセラーになっているのか?神話との関連を想像して納得出来た。やっぱり来年も伊勢神宮へ行こう、それとも出雲大社にするか!?
自伝と評伝のあいだ「スティーブ・ジョブス」 [気紛れな本箱]
「ソーシャルシフト」 [気紛れな本箱]
日本のホログラフィーの発展 [気紛れな本箱]
日本のホログラフィーの歴史をまとめた本としては、初めての基礎文献ではないだろうか。どこで販売しているのか解らず、とうとう編集委員長から分けてもらった。70年代から80年代にかけてホログラフィーの表現やディスプレイに関わった人間として自分史の中で大事にしたい。当時の「ハイテクノロジーアート」と言う言葉を感傷を持って感じるのは自分だけではないだろう。この本、ここから買えると編集委員長から教えてもらいました→http://opluse.shop-pro.jp/?pid=24903999