「坂の上の雲」は映画のようだ [ひとりごと]
観逃していたNHK「坂の上の雲」をDVDで観始めたら止まらなく成ってしまった。映像や時代考証などなど凄いと思う。ハイビジョンで撮られ、細部まで良く出来た映像を見ていてTVドラマと映画とがどう違うのかと思い巡らせている。『「坂の上の雲」は映画みたいに良く出来ている』と家内と話したのが切っ掛けだった。でもやっぱり映画とは違う、映画は「動く絵」として始まった映像が主体の芸術だとすると、TVドラマは舞台中継の様なリアリティー・空気感がその本質の様な気がする。黒澤明の絵コンテは既にアートに成っているし。と言う訳で「よく考えて見たいテーマ」に成ってしまった。ところで、私の発見は「菅野美穂」の演技の素晴らしさだが「菅野美穂」と言う名前は大女優になる響きが足りない様に思うのは私の感覚が古いからか。
丹東。中朝国境の町、鴨緑江断橋。 [待ち受け写真]
これはジョブスの「iPhone5」か? [ひとりごと]
申込のミスで後回しにされた「iPhone5」を夫婦共々やっと手に入れた。面白い情報を提示してくれる「マップ」の問題よりも、一番残念なのは裏面のデザインだ。全体が一枚素材ではなく、上下帯状の素材が変わっている。コスト問題なのか?技術問題なのか?は解らないがデザインとしては「iPhone4」からの後退だと思う。このデザインを生前のジョブスは認めていたのだろうか?この様な妥協が始まっては、今絶好調の「Aple」の「終わりの始まり」にならなければ良いのだが?「iPadミニ」発売もそうだろう。20年以上「Mac」を使っている身としての心配事だ。今までの「iPhone4」を誰かに使ってもらうために下取りにだすことも考えていたが、大事に手許に置いておく事にした。
江ノ島展望台の下で咲いていた「あじさい」? [待ち受け写真]
「指揮官先頭」。チャーチルの「第二次世界大戦」 [気紛れな本箱]
「第二次世界大戦」は「第一次世界大戦」が終わった時点から始まるとの認識から、30年近くの記録を一人称で、しかも連合国のリーダーとしての記録を残したのはチャーチルの「歴史に対する責任」への思いだろうか。4巻もあったが、内容はヨーロッパでの戦争の記述が殆どで「第二次世界大戦」と言いながら、ヨーロッパから見れば「第二次世界大戦」の一部が「太平洋戦争」で日本が唱えた「大東亜戦争」はさらにその一部と言う事になるのだろう。日本は地球の裏側「ファーイースト」だと思い知らされる。ところで、最前線に突然現れ自分で現場を見て大局的に決断するところが随所にあり、世界を動かした指揮官先頭とはこう言う事だと納得させられた。原発事故で現場を混乱させた某総理の視察との、歴史に対する自覚の違いを思い知る。ここで比較しては申し訳ないか!?
懐かしむだけかな、埼玉県立近代美術館「日本の70年代1968-1982」展 [展覧会]
「ビートタケシ・きたの」のアートマネジメント?「絵描き小僧展」 [展覧会]
「生きるための家」展 [展覧会]
同じ「都美館」でも「フェルメール」(マウリッツハイス美術館展)を見るための行列を横目に「生きるための家」展に来てしまった。私の関心は「生きる(意味の)ためのデザイン」は「生きのびるためのデザイン」とどう違うのか。カタチや空間はどうにでも作れる様に成ったと思える現在、3.11後の生きる意味、家族・人との関係がどう提案されているのか。「なるほど」と思える作品はあったが「凄い」と言えるものは無かったかな〜。面白かったのは「一本の大きな木の中に彫りながら棲む」で、先日放送されていた「98歳になるホームレス」が造りそうな住まいに思えた。
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。
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44年目の「黒部の太陽」の今 [映画]
「具体」と吉原治良のマネジメント [展覧会]
具体的な成りゆきはあまり知らなかった「具体」だが、始まりから終わりまでを吉原治良がマネジメントとプロモーションをしていたからこそ「具体」が世界的に実績を残せたと言える。吉原製油の経営者としてのマネジメント力があってこそ芸術プロデューサーとしても成功したのだろう。活動も終わりに近い1970年大阪万博での「具体美術祭り」は音の残っていない映像で見る限り、今から見れば正直学園祭レベルと言ったら失礼か。それでも「具体美術協会」のパフォーマンス活動が60年近くも前に始まり、それを育て歴史に残した吉原治良は凄い。ところで「昔は芦屋のお屋敷街の新取の気風と財力が、ファッションや文化の新しい風を関西から起こした」と思っていたが、「具体」もその一つかもと思うがどうだろう?
上質なあかりの演出が光った「アールデコ/光のエレガンス展」 [展覧会]
ミイラに成った「案山子」 [待ち受け写真]
ADC展/グラフィックデザインの潮流は白か? [展覧会]
「モグラ」の埋葬 [待ち受け写真]
「美し森」の「大ヤマツツジ」 [待ち受け写真]
やっぱり全部読んでみよう「地上最大の手塚治虫展」 [展覧会]
鮭よりも鯛が好きだ「近代洋画の開拓者 高橋由一展」 [展覧会]
「私も重要文化財の「鮭」は知っているがその他はほとんど観た事がなかったか?いや「花魁」「山形市街図」を観た事があるくらいだ。これだけの数の人物画/風景画/静物画を観る事が出来て、一番に思うのは写実「リアルに描く」ことの在り方だ。写実が「写真的にリアル」と言うのは写真が普及してからの概念だとすると、遠近法を採り入れながらも対象のディティールにこだわり、浮世絵の強調構図を生かし描くのが高橋由一の、そして当時の写実の概念なのだろうか。風景画では浮世絵風な近接拡大構図法による遠近の強調で描かれた「芝浦夕景」は、現在で言えば広角レンズによるドキュメンタリーだ。人物画はディティールが強調され対象の実態を抽出する、劇画家が描く肖像画の様だ。そんなこんなで静物画では、私としては「鮭」よりも妙な存在感・リアリティーが在る「鯛」(鯛図)が好きだ。
能登金剛、ヤセの断崖に咲く「カラスノエンドウ」 [待ち受け写真]
東京スカイツリー、450メートルからの墓石群 [スカイツリー634]
フィールド・ノーツ「方丈記」 [気紛れな本箱]
読売新聞の書評と「方丈記は日本で初めての災害文学」と言う著者の言が気になり「方丈記/鴨長明」(浅見和彦-校訂・訳)を読んだ。書かれている平安末期の政変、津波、大火、竜巻など鴨長明のフィールド・ノーツとも言える「方丈記」を今の日本と対比して"現代"ではなく"現在"の視点での訳と評は解りやすいし大きな意味があるように思う。『「ほど狭しといえども、夜臥す床あり。昼居る座あり。一身を宿すに不足なし」と言う方丈の住まいは、今で言えばワンルーム・マンシン』と言う比喩など解りやすく面白い。「不安の時代の生き方と住まい」を自分と鴨長明とを生身の人間として対比し考えさせてくれる。今年は、鴨長明が亡くなったと言われる歳と同じ歳になる我が身は、とても長明の心境と生き方には成っていないが。
「劇画派?」/「蕭白ショック!曾我蕭白と京の画家たち」展 [展覧会]
疑心が疑心を呼ぶそうだ「陰謀史観」 [気紛れな本箱]
オールオーバーな絵の中から東洋に入った?「ポロック展」 [展覧会]
「ポロックはぶれていない 」が私の感想だ。最初期の「自画像」から「インディアンレッドの地の壁画」そして晩年のモノクロのシリーズまで、ポロックは生まれ育った西部ネイティブアメリカンの表現を発展させようとしていたのではないだろうか。ネイティブアメリカンの砂絵「絵の中にいる」オールオーバーな絵。「私は床で絵を描くけれど、それは別にそんなに変わったことじゃない。東洋では普通にやられていますよ」こんな言葉から、中心の無い東洋画/日本画にも影響されていたのではと思う。 例えば「ブラックポーリング」は棟方志功だし 55番の「Untitled」はまるで「風神雷神」だ 「Black and White Polyptych」(下)は屏風仕立ての墨絵でもある、と思い当たったりしている。こんな思いは仮説の入り口だが、もう少し私流の空想を楽しんでみたい。
宇宙ステーションが流れていった、星座観察キャンプ [待ち受け写真]
連休の初日、全く雲の無い天候に恵まれて常陸大宮の花立自然公園へ「星座観察キャンプ」に出かけた。日没後の月明かりの残る宵から「美スター」でのレーザーポインターを夜空に当てての解説は解りやすくスカウトと一緒に新鮮な驚きだった。そして何よりもの体験は、強く輝きながら移動する「宇宙ステーション」を観る事が出来た事だ。「あの強い輝きは人工衛星ではない、点滅していないから飛行機でもない、そうだ宇宙ステーションだ!」との解説にはどよめきが湧いた。そして地平線ではなく雲も無いのに南東の空に消えていった時「地球の陰に入って反射しなくなったからだ」と教えてくれた時、来て良かったと皆が納得した素晴らしい夜だった。そして子供達は月明かりが全く無くなった後も午前3時頃まで観察をしていた。
歴史にIFは無いとは言え「秘録 石原莞爾」 [気紛れな本箱]
流出とはこう言う事か!「ボストン美術館・日本美術の至宝」展 [展覧会]
どうしてこれ程のコレクションが日本から流出してしまたのか、エジプトの美術品がナポレオンによって持ち去られたり、大英博物館に行ってしまったり、そんな悔しさと同じだ。何故って、表装のママで「額」に収まってしまった作品を見て「あ〜あ日本に在ったら無事だったのに」と思わざるを得ない。それにしても「持ち去った?」フェノロサやビゲローの眼は確かだ。中でも「曾我蕭白」の「雲龍図」は凄い、大パノラマでこんな襖絵は見たことがない、蕭白は江戸時代の劇画家だ。「「平治物語絵巻」も素晴らしい、絵巻物とはカメラが右から左へパンする映画的物語だと、今回改めて確認出来た。快慶の「弥勒菩薩立像」もイイ、小袖や帷子もすごい!尾形光琳の「松島図屏風」も大好きだ。全く「抹香臭くない」モダンな展覧会になっている。
↑天地1.6m×幅10m強もある!
↑天地1.6m×幅10m強もある!
1930年代、「都市から郊外へ-1930年代の東京」と「昭和陸軍の軌跡」 [展覧会]
世田谷文学館の「都市から郊外へ-1930年代の東京」展では、文学・絵画/彫刻・写真・版画・映画・音楽・住宅・広告などを”てんこもり"に見せられて、1930年代は自由でクリエイティブでいい時代だったんだな〜と思わせられた。一方で、同じ時代を扱った「昭和陸軍の軌跡/永田鉄山の構想とその分岐」(川田稔)を読み終わって、永田鉄山/石原莞爾ら昭和陸軍にも冷静な戦略構想があったようだが、政治の側に戦略判断能力とコントロールの力が無く、戦争に向かってどうしようもなく山が動いてゆくドキュメンタリーを観ているような気分になった。消費税を巡る今の民主党を見ていると、戦前の陸軍統制派と皇道派の抗争と同じように思えて成らない。