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「坂の上の雲」は映画のようだ [ひとりごと]

観逃していたNHK「坂の上の雲」をDVDで観始めたら止まらなく成ってしまった。映像や時代考証などなど凄いと思う。ハイビジョンで撮られ、細部まで良く出来た映像を見ていてTVドラマと映画とがどう違うのかと思い巡らせている。『「坂の上の雲」は映画みたいに良く出来ている』と家内と話したのが切っ掛けだった。でもやっぱり映画とは違う、映画は「動く絵」として始まった映像が主体の芸術だとすると、TVドラマは舞台中継の様なリアリティー・空気感がその本質の様な気がする。黒澤明の絵コンテは既にアートに成っているし。と言う訳で「よく考えて見たいテーマ」に成ってしまった。ところで、私の発見は「菅野美穂」の演技の素晴らしさだが「菅野美穂」と言う名前は大女優になる響きが足りない様に思うのは私の感覚が古いからか。
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丹東。中朝国境の町、鴨緑江断橋。 [待ち受け写真]

大連から高速道路で4時間。中国と朝鮮の国境の町、丹東へ行って来た。朝鮮戦争で落とされたままになっている鴨緑江断橋。この橋の向こうの風景と、手前の近代化が進む丹東の風景とのギャップの大きさが厳しい現実を実感させる。ここは中国でも有名な観光地に成っているようで、この橋からさらに上流で、対岸の北朝鮮近くまでモーターボートで運んでくれる現地ツアーがあった。中国人観光客に混じってのツアーは初体験だ。北朝鮮軍人や生活する人達と建物を間近で垣間見る事が出来た、なんと言ってよいか?無言。
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これはジョブスの「iPhone5」か? [ひとりごと]

申込のミスで後回しにされた「iPhone5」を夫婦共々やっと手に入れた。面白い情報を提示してくれる「マップ」の問題よりも、一番残念なのは裏面のデザインだ。全体が一枚素材ではなく、上下帯状の素材が変わっている。コスト問題なのか?技術問題なのか?は解らないがデザインとしては「iPhone4」からの後退だと思う。このデザインを生前のジョブスは認めていたのだろうか?この様な妥協が始まっては、今絶好調の「Aple」の「終わりの始まり」にならなければ良いのだが?「iPadミニ」発売もそうだろう。20年以上「Mac」を使っている身としての心配事だ。今までの「iPhone4」を誰かに使ってもらうために下取りにだすことも考えていたが、大事に手許に置いておく事にした。
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江ノ島展望台の下で咲いていた「あじさい」? [待ち受け写真]

カラフルでまるで線香花火のように咲いていたのは造化ではなく本物だった。江ノ島「サムエル・コッキング苑」の展望台の下で見かけたこの花は「あじさい」の仲間だろうか。家に帰り、夫婦でインターネットの写真検索や図鑑を探したか全く同じものは見つからなかった。花の構造・葉のカタチなども調べたが解らない「あじさい」の仲間ではないかとの結論だった。江ノ島だけに咲いている事は無いと思うが、自分の花についての無知を改めて”確認”した次第でした。
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「指揮官先頭」。チャーチルの「第二次世界大戦」 [気紛れな本箱]

「第二次世界大戦」は「第一次世界大戦」が終わった時点から始まるとの認識から、30年近くの記録を一人称で、しかも連合国のリーダーとしての記録を残したのはチャーチルの「歴史に対する責任」への思いだろうか。4巻もあったが、内容はヨーロッパでの戦争の記述が殆どで「第二次世界大戦」と言いながら、ヨーロッパから見れば「第二次世界大戦」の一部が「太平洋戦争」で日本が唱えた「大東亜戦争」はさらにその一部と言う事になるのだろう。日本は地球の裏側「ファーイースト」だと思い知らされる。ところで、最前線に突然現れ自分で現場を見て大局的に決断するところが随所にあり、世界を動かした指揮官先頭とはこう言う事だと納得させられた。原発事故で現場を混乱させた某総理の視察との、歴史に対する自覚の違いを思い知る。ここで比較しては申し訳ないか!?
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懐かしむだけかな、埼玉県立近代美術館「日本の70年代1968-1982」展 [展覧会]

地方美術館の、いい所なのか限界なのか?そんなことは大それた事で出来ないのか?テーマである「70年代」が総括がされないまま、ごった煮のように集められ提示された展覧会だ。だけどそれはそれで懐かしく廻ることが出来る。「アンアン」の創刊号は無くしてしまった!「ポパイ」「ブルータス」の創刊号は持っている、あれは覚えている!あそこには行った?なんてつぶやきが終始できたし、楽しい展覧会だった。「カタログ」も「難しい論文」が載っていないしフルカラーでもリーズナブルだ。「カタログ」は買ったし、帰ったら物置と段ボール箱をひっくり返し自分のコレクションを引っ張り出して、飲みながら楽しむ事にしよう。
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「ビートタケシ・きたの」のアートマネジメント?「絵描き小僧展」 [展覧会]

9月2日で終わってしまったが「絵描き小僧展」は面白かった。ヤッパリ「ビートタケシ・きたの」は天才なのか?表現をするという事に遠慮やバリアーがないし、今の「北野武」は何でも出来る・何でも創る事ができる社会的な力があり、それを活かしているな〜と実感させる。プロデューサーは誰だか知らないがヨーロッパで認めさせてから日本に持ち込み、展示会場では最初と最後にタブローを持って来て「絵描き」であることを確認させ「絵を欲しくさせる」構成は戦略的だ。これがフランス流「アートマネジメント」なのだろうか。
しかしこの年でこの絵が描けるとは素晴らしい、「ペンキ屋のせがれ」の下町原風景なのかな。
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「生きるための家」展 [展覧会]

同じ「都美館」でも「フェルメール」(マウリッツハイス美術館展)を見るための行列を横目に「生きるための家」展に来てしまった。私の関心は「生きる(意味の)ためのデザイン」は「生きのびるためのデザイン」とどう違うのか。カタチや空間はどうにでも作れる様に成ったと思える現在、3.11後の生きる意味、家族・人との関係がどう提案されているのか。「なるほど」と思える作品はあったが「凄い」と言えるものは無かったかな〜。面白かったのは「一本の大きな木の中に彫りながら棲む」で、先日放送されていた「98歳になるホームレス」が造りそうな住まいに思えた。
生きるための家展.jpg一本の木の家.jpgクリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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44年目の「黒部の太陽」の今 [映画]

木本正次の原作も読んでいた、熊井啓監督の『映画「黒部の太陽」全記録』も読んだ、「黒四ダム」にも行ってきたが映画だけはまだ観ていなかった。やっと錦糸町楽天地シネマで3時間超に及ぶホンモノを観る事が出来た。売上は東日本大震災の義援金として寄付されるそうだが、復興、高度成長、開発、自然破壊、そして原発事故など、今「黒部の太陽」を見る事の意味を考えながらのあっという間の3時間半だった。日本は原発を無くし、省資源、省エネ、循環型社会、つまり江戸時代のコンセプトで世界をリードする国になれるだろうか。それにしても、こんな映画を創った三船敏郎も石原裕次郎も若くてかっこいい。
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「具体」と吉原治良のマネジメント [展覧会]

具体的な成りゆきはあまり知らなかった「具体」だが、始まりから終わりまでを吉原治良がマネジメントとプロモーションをしていたからこそ「具体」が世界的に実績を残せたと言える。吉原製油の経営者としてのマネジメント力があってこそ芸術プロデューサーとしても成功したのだろう。活動も終わりに近い1970年大阪万博での「具体美術祭り」は音の残っていない映像で見る限り、今から見れば正直学園祭レベルと言ったら失礼か。それでも「具体美術協会」のパフォーマンス活動が60年近くも前に始まり、それを育て歴史に残した吉原治良は凄い。ところで「昔は芦屋のお屋敷街の新取の気風と財力が、ファッションや文化の新しい風を関西から起こした」と思っていたが、「具体」もその一つかもと思うがどうだろう?
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上質なあかりの演出が光った「アールデコ/光のエレガンス展」 [展覧会]

生活空間にこだわるパナソニック汐留ミュージアムだからこその演出が素晴らしい。特にガラス作品の、上方からのダウンライトと底面からの小さなLED照明が、ガラスと空間と光の交差で当時の雰囲気を醸し出しているように感じる。ライティングが素晴らしいテーブルセッティングも他の美術館では多分できない。出口近くで振り返って眺めた時のどきどき感や黒と照明のシンプルな空間。この「光の演出は持ち帰れない」ので、とてもカタログやハガキを買う気にはなれなかった。勿論、本物のルネ・ラリックを買う財力もない。そう言えば昔「エレガンスの辞典」と言う本を持っていたが、残念だがなくしてしまった。
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ミイラに成った「案山子」 [待ち受け写真]

二年前の冬の大多喜、「カラス」ではなく「さる」を威嚇するために創った「案山子」。今年改めて確認するとまるで「ミイラ」に成ったままで立っていた。「さる」に、みかん/カボチャ/柿/キュウリ/トマトなど殆どの産物を荒らされいる農家に取っては真剣な対策だ。家内の創った「案山子」はなぜか泥臭くファッショナブルでユーモラスだった。それから二年半、今年の同じ「案山子」はミイラの様な恐ろしい風貌になっていた。夜、この「案山子」を観て逃げるのは「カラス」でも「さる」でもなく「人間」である事には間違いなさそうだ。
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ADC展/グラフィックデザインの潮流は白か? [展覧会]

会期ぎりぎりの「ADC展」(銀座3G)に滑り込みで行ってきた。日本のグラフィックデザインのトレンドは白地になっているのではないか?先日発刊された「JAGDA年鑑2012」を観ても「白」が気になっていた。白地の作品にはホワイトインクを敷き白地が表現された製版をしている。20年前の「JAGDA年鑑」と比べるとはっきりと白地の作品が多くなっている。そんな傾向の中でADCの先生達は今、アナログの痕跡を残した作品を創っている。制作がデジタルに成り、有機的な質感から無機的な質感デザインが大勢となった今、デザイナーは改めて紙と質感にこだわり手作り表現に向かっている。
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「モグラ」の埋葬 [待ち受け写真]

6月に行った夏キャンプの下見の際、清里駅から清泉寮へ向かう途中のアスファルト上で「モグラ」が仰向けに成っていた。体長は10センチくらいだろうか?これはと思い近づき思わずアップで撮影した。撮り終わった瞬間に女性リーダーが草むらから葉っぱを拾ってきて「モグラ」を包み、草むらへ弔った。男と女の感覚の違いなのか、興味の差なのか、思い遣りの差なのか、この一瞬の出来事が小さなショックで残っている。仰向けに成っている姿は可愛い「モグラ」であったことに変わりはないが。
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「美し森」の「大ヤマツツジ」 [待ち受け写真]

清里にある「清泉寮」から「美し森」に向かう途中に「美し森の大ヤマツツジ」が残っている。昭和10年に国の天然記念物に指定されたそうだが、今は半分以上が枯れてしまい無惨な姿だ。同じように清里駅前もすっかり寂れてしまっている。辛うじて賑わっている「清泉寮」のソフトクリームは美味しかったし、牧草の草原から見る八ヶ岳も素晴らしかった。写真は「美し森」頂上近くに咲く「ヤマツツジ」だが、この花が巨木に満開になっていたらさぞ素晴らしかったろう。「枯れてしまった大ヤマツツジ」「寂れてしまった清里周辺」花と街の栄枯盛衰に山の気色は超然としている。
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やっぱり全部読んでみよう「地上最大の手塚治虫展」 [展覧会]

今までいくつもの手塚治虫展があったと思うが、作品の「テーマ/内容」をコンセプトにしたのは昨年の「手塚治虫のブッダ展」位だったかな。世田谷文学館だから手塚治虫の作品を「これからの時代を生き抜くために手許に置くべき<文学>である」と位置づけ、作品を見るのではなく読んでもらう企画にしたのは新鮮だ。だから全作品を読めるコーナーがあり「地上最大の手塚治虫展」なのだろう。でも、半日ではとても読み切れない、気になり始めたら全作品を読んでみたいと思い立ってしまった。そう、やっぱり電子ブックで。この志を忘れないためにミュージアムショップから我が家に「ヒョウタンツギ」貯金箱に来てもらった。
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鮭よりも鯛が好きだ「近代洋画の開拓者  高橋由一展」 [展覧会]

「私も重要文化財の「鮭」は知っているがその他はほとんど観た事がなかったか?いや「花魁」「山形市街図」を観た事があるくらいだ。これだけの数の人物画/風景画/静物画を観る事が出来て、一番に思うのは写実「リアルに描く」ことの在り方だ。写実が「写真的にリアル」と言うのは写真が普及してからの概念だとすると、遠近法を採り入れながらも対象のディティールにこだわり、浮世絵の強調構図を生かし描くのが高橋由一の、そして当時の写実の概念なのだろうか。風景画では浮世絵風な近接拡大構図法による遠近の強調で描かれた「芝浦夕景」は、現在で言えば広角レンズによるドキュメンタリーだ。人物画はディティールが強調され対象の実態を抽出する、劇画家が描く肖像画の様だ。そんなこんなで静物画では、私としては「鮭」よりも妙な存在感・リアリティーが在る「鯛」(鯛図)が好きだ。
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能登金剛、ヤセの断崖に咲く「カラスノエンドウ」 [待ち受け写真]

映画は観ていない「ゼロの焦点」20年も前に読んだ印象と映画スチールのイメージが焼き付いていた「ヤセの断崖」。2007年の能登半島地震で先端が崩落しており「こんなモノか」と言う印象だ。近くの「義経の舟隠し」には崩落の話はないが「ヤセる」ほどの怖さはない。「義経の舟隠し」へ断崖沿いを歩く途中に「カラスノエンドウ」が咲いていた。そう言えば最近花の写真をブログに揚げていなかったので、何かほっとさせられ早速撮らさせてもらった。前日泊まった能登半島反対側の珠洲市にある「見附島」も、同じ地震で先端が崩落し「軍艦島」らしく無くなっており「軍艦島」も死語に近い。地震の爪痕は全国何処にでも在ると思い知らされる。
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東京スカイツリー、450メートルからの墓石群 [スカイツリー634]

快晴でも霞がかかって、富士山が見えない東京スカイツリーからの眺望だった。家に帰ってふと写真を眺めていたら墓地を眺めているかの様な錯覚に襲われてしまった。450メートルから実際の眼で観ている時はそんな思いは全く現れなかったが、スケール感と地上のリアリティーが無くなりビル一つ一つが墓石のように見えてくる。いやいや、震災に襲われ大きなビルは残ったが、後はがれきとなった東京の風景にも思えてきた。そんな事になってもらいたくないが、こんな風景に見えたのは私だけだろうか?
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フィールド・ノーツ「方丈記」 [気紛れな本箱]

読売新聞の書評と「方丈記は日本で初めての災害文学」と言う著者の言が気になり「方丈記/鴨長明」(浅見和彦-校訂・訳)を読んだ。書かれている平安末期の政変、津波、大火、竜巻など鴨長明のフィールド・ノーツとも言える「方丈記」を今の日本と対比して"現代"ではなく"現在"の視点での訳と評は解りやすいし大きな意味があるように思う。『「ほど狭しといえども、夜臥す床あり。昼居る座あり。一身を宿すに不足なし」と言う方丈の住まいは、今で言えばワンルーム・マンシン』と言う比喩など解りやすく面白い。「不安の時代の生き方と住まい」を自分と鴨長明とを生身の人間として対比し考えさせてくれる。今年は、鴨長明が亡くなったと言われる歳と同じ歳になる我が身は、とても長明の心境と生き方には成っていないが。
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「劇画派?」/「蕭白ショック!曾我蕭白と京の画家たち」展 [展覧会]

「ボストン美術館日本美術の至宝展」で曾我蕭白は凄いと思っていたら千葉市美術館で「蕭白ショック!曾我蕭白と京の画家たち」展をやっていた。やっぱり蕭白は「日本の劇画の原点」だと勝手に思い込み、確信を持ってしまった。水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」の先祖だ。私ならこの展覧会に「劇画派?蕭白、妖怪を描く」と言うコピーを付けたい。と言っても蕭白35才前後の作品が中心だが。確かに、晩年の京都で画風を完成させ、日本画の異彩としての作品は素晴らしいが「劇画派?」の頃と比べると面白くない、と思う。伊勢の辺りで「劇画派?」の頃自由な絵が描けたのは、時代か?環境か?若かったからか?
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疑心が疑心を呼ぶそうだ「陰謀史観」 [気紛れな本箱]

「昭和陸軍の軌跡」から「秘録 石原莞爾」をへて、とうとうこんな本にまで来てしまった。世界史的な陰謀説から昭和陸軍の陰謀説や戦後の陰謀説まで丁寧に説明してくれて、歴史の見方考え方の一つを教えられた。ビジネスマンの下世話な話もこんな手法で作り上げたら大陰謀説に成るかもしれない。いずれにしても確証がないから「陰謀"説"」なのであって茶飲み話、酒飲み話で終わらせているうちは可愛いものだ。あまり現在進行形の話はせず「史観」で終わらせる様にしよう。歴史を楽しんでいる方がいい。
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オールオーバーな絵の中から東洋に入った?「ポロック展」 [展覧会]

「ポロックはぶれていない 」が私の感想だ。最初期の「自画像」から「インディアンレッドの地の壁画」そして晩年のモノクロのシリーズまで、ポロックは生まれ育った西部ネイティブアメリカンの表現を発展させようとしていたのではないだろうか。ネイティブアメリカンの砂絵「絵の中にいる」オールオーバーな絵。「私は床で絵を描くけれど、それは別にそんなに変わったことじゃない。東洋では普通にやられていますよ」こんな言葉から、中心の無い東洋画/日本画にも影響されていたのではと思う。 例えば「ブラックポーリング」は棟方志功だし 55番の「Untitled」はまるで「風神雷神」だ 「Black and White Polyptych」(下)は屏風仕立ての墨絵でもある、と思い当たったりしている。こんな思いは仮説の入り口だが、もう少し私流の空想を楽しんでみたい。
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宇宙ステーションが流れていった、星座観察キャンプ [待ち受け写真]

連休の初日、全く雲の無い天候に恵まれて常陸大宮の花立自然公園へ「星座観察キャンプ」に出かけた。日没後の月明かりの残る宵から「美スター」でのレーザーポインターを夜空に当てての解説は解りやすくスカウトと一緒に新鮮な驚きだった。そして何よりもの体験は、強く輝きながら移動する「宇宙ステーション」を観る事が出来た事だ。「あの強い輝きは人工衛星ではない、点滅していないから飛行機でもない、そうだ宇宙ステーションだ!」との解説にはどよめきが湧いた。そして地平線ではなく雲も無いのに南東の空に消えていった時「地球の陰に入って反射しなくなったからだ」と教えてくれた時、来て良かったと皆が納得した素晴らしい夜だった。そして子供達は月明かりが全く無くなった後も午前3時頃まで観察をしていた。
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歴史にIFは無いとは言え「秘録 石原莞爾」 [気紛れな本箱]

新橋駅前機関車広場恒例の古本市は「おじさん達」のための古本市なので楽しみにしている。読み終わったばかりの「昭和陸軍の軌跡/永田鉄山の構想とその分岐」の流れで永田鉄山と石原莞爾に関するものを探していて見つけた。著者は同郷で同じ陸軍で将軍にまで成った人なので、割り引く部分とリアルで説得力がある部分とで気持ちの綱引きをしながら一気に読んでしまった。確かに、結果論的に「言った通りに成った」のかも知れないが、本当に石原将軍なら戦争を早期に決着つけられたと思っていたのだろうか。話は違うが著者の文章は参謀式文体なのだろうか?読みやすく解りやすい文章はビジネス文書に通じるものがある。
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流出とはこう言う事か!「ボストン美術館・日本美術の至宝」展 [展覧会]

どうしてこれ程のコレクションが日本から流出してしまたのか、エジプトの美術品がナポレオンによって持ち去られたり、大英博物館に行ってしまったり、そんな悔しさと同じだ。何故って、表装のママで「額」に収まってしまった作品を見て「あ〜あ日本に在ったら無事だったのに」と思わざるを得ない。それにしても「持ち去った?」フェノロサやビゲローの眼は確かだ。中でも「曾我蕭白」の「雲龍図」は凄い、大パノラマでこんな襖絵は見たことがない、蕭白は江戸時代の劇画家だ。「「平治物語絵巻」も素晴らしい、絵巻物とはカメラが右から左へパンする映画的物語だと、今回改めて確認出来た。快慶の「弥勒菩薩立像」もイイ、小袖や帷子もすごい!尾形光琳の「松島図屏風」も大好きだ。全く「抹香臭くない」モダンな展覧会になっている。
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↑天地1.6m×幅10m強もある!
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1930年代、「都市から郊外へ-1930年代の東京」と「昭和陸軍の軌跡」 [展覧会]

世田谷文学館の「都市から郊外へ-1930年代の東京」展では、文学・絵画/彫刻・写真・版画・映画・音楽・住宅・広告などを”てんこもり"に見せられて、1930年代は自由でクリエイティブでいい時代だったんだな〜と思わせられた。一方で、同じ時代を扱った「昭和陸軍の軌跡/永田鉄山の構想とその分岐」(川田稔)を読み終わって、永田鉄山/石原莞爾ら昭和陸軍にも冷静な戦略構想があったようだが、政治の側に戦略判断能力とコントロールの力が無く、戦争に向かってどうしようもなく山が動いてゆくドキュメンタリーを観ているような気分になった。消費税を巡る今の民主党を見ていると、戦前の陸軍統制派と皇道派の抗争と同じように思えて成らない。
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夕暮れ銀座 [ひとりごと]

「待ち合わてせ歩く銀座、灯ともしころ、恋の銀座~」なんて言う歌謡曲の銀座も今は裏通りにしかないのでは?表通りは世界の銀座で、ブランド通りで、中国人が跋扈する通りで、そんな通りにになってしまった。ここは一見、渋谷や新宿の表通りと変わらない様だが、やっぱりちょっと違う。松坂屋裏の喫茶店、二階に画廊が見え、時間がゆっくり流れ、アラン・ドロンが歩いてきそうだ。何て言うのは私の幻想、でもこの倦怠は何だろう。
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奇跡の馬!「戦火の馬」WAR HORSE [映画]

奇跡の馬、こんな事が本当にありえるのか?と言う愚問は発すまい。ストーリーを淡々と追った、スピルバーグの押さえた演出が静かな感動になっている。スピルバーグ流の絵画の様なプロローグとエピローグの間の二時間半があっという間だ。なかでも、臼砲を山に引き上げる時、青鹿毛の「トップソーン」と交代し振り返った時の「ジョーイ」の眼は凄かった。第一次世界大戦でイギリスから大陸へ出征した軍馬は100万頭以上、生還した馬は6万頭余りだそうだ。そのうちの一頭が「ジョーイ」だとすると、奇跡はあった様な気がしてくる。素晴らしい、手許に置きたい映画だ。
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時間の縦軸と空間の横軸-フェルメール二つの展覧会 [展覧会]

意図して二つの展覧会が同時に開かれたのだろうか?フェルメールの時代・風俗に作品を重ねて考える事が出来る「フェルメールからのラブレター展」と、「リ・クリエーション」されてフェルメールの全ての作品を年代順に原寸で観られる「フェルメール光の王国展」。両方を観ると、当時の社会風俗との関係を空間(横軸)として、作品の流れと変化を時間(縦軸)として交差させて考える事が出来る。自分が評論家になった様な気分にしてくれる新しい鑑賞体験だ。どちらを先に観るか?渋谷と銀座と言うリアルな空間を移動し右脳と左脳を交差させ、数少ない作品のディティールに迫る面白い展覧会だった。
フェルメールからのラブレター.jpgフェルメール光の大国.jpg
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